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バルス民のせいで鯖が重い。 [無断転載禁止]©2ch.net

1 :柏木 ◆AAATAN//dRDi @転載は禁止:2016/01/16(土) 00:04:14.55 ID:MFvrXCNu
一体感くっさ

2 :名も無き被検体774号+@転載は禁止:2016/01/16(土) 00:06:23.06 ID:6jmdpHk2
確かに

3 :名も無き被検体774号+@転載は禁止:2016/01/17(日) 21:52:24.24 ID:SGSMx+lN
って簡単に言うけどさ
98年の菊の1000m通過タイム59.6は、ネット競馬でデータ見られる1985年以降に限ると98年までの最速
これより早いのは15年までで02年ローエングリン(58.3)、06年アドマイヤメイン(58.7)、08年ノットアローン(58.8)の3回だけ
しかも98年当時は内側の仮柵外してグリーンベルトができてたのであって、内外有利不利のない高速馬場ではないからこのへんと比較してもしょうがない

ハイペースで流れてて後ろに本命のスペがいる状況で先行勢にセイウンつつけに行けとか言われても現実問題難しいだろう。俺は結果論に過ぎないと思う
確か菊の逃げ切り勝ちは59年のハククラマ以来39年ぶりで、当時菊を逃げて勝てるなんて思ってる騎手はほとんどいなかったはず。だから甘く見られた

4 :名も無き被検体774号+@転載は禁止:2016/01/17(日) 22:40:01.03 ID:SGSMx+lN
>って簡単に言うけどさ
>98年の菊の1000m通過タイム59.6は、ネット競馬でデータ見られる1985年以降に限ると98年までの最速
>確か菊の逃げ切り勝ちは59年のハククラマ以来39年ぶりで、当時菊を逃げて勝てるなんて思ってる騎手はほとんどいなかったはず。

その通り。
事実、京都3000は86〜96年までオープン特別を含めて逃げ切り勝ちが1度もなかった。
そして、このコースで逃げた馬のほとんどがチンタラとした溜め逃げが多かった。
その当時の京都3000の乗り方の鉄則は「1周目の丘はゆっくり下れ」が常識だった。
この既成概念に楔を打ち込んだのが名手・南井克己である。
南井は今までの京都3000の逃げ馬のペースの逆を行くペースを開拓し、
97年の万葉Sでビッグシンボルで鮮やかな単騎逃げ切り勝ちを決めたのである。
その後、堰を切ったように99年の万葉Sでタマモイナズマが、00年のドンカスターSでタガジョーノーブルが淀みのない逃げ切りという
南井克己式逃げ切り勝ちをおさめたのである。
98年のセイウンスカイで前半の1000mを59.6という速いペースで逃げた横山典もこの南井方式を踏襲したというのは言うまでもない。
つまり、京都の芝は基本的に速いからそれなりの実力馬がある程度飛ばして逃げてもそう簡単には止まらないのだ。
だから後ろの馬が速い脚を使えるような状況を封じることが出来れば前が残ることになる。
馬場差によって多少数字は前後するが、標準良馬場前提で前半1000が60秒前後のラップを踏んだ場合、
レースの上がりは35秒前後になって前が残る可能性が高い。
前半1000が61秒を超えるようだと上がりは34秒前後になって前の馬が後ろの馬の餌食になる可能性が高い。
前者の典型的な菊が92年ライス・ブルボン、95年マヤノトップガン、98年セイウンスカイ、03年ザッツザプレンティ、14年トーホウジャッカルであり、
後者の典型的な菊が96年ダンスインザダーク、01年マンハッタンカフェ、05年ディープインパクトである。
なお、菊における上がり最速を記録したのはディープインパクトの33.3である。

結論として98年の菊は、ウンスは高速Gベルト+ノリの南井式好騎乗
かたやスペは武の仕掛け遅れ&脚余しという下手打ち
これが全てであり、もしも騎手が違う仕事をしていたらまるで違う結果になっていたかもしれないと見るのが妥当であろう。

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